Papers by Ming WU 吳 鳴
2024國際青年華嚴學者論壇論文集, 2025
「法界」作為華嚴宗四祖澄觀思想研究的一個重要概念,歷來的研究多從四法界說、法界緣起說等具體學說入手,尚缺乏從宗趣論的視角整體審視澄觀「法界」思想的研究。本文旨在從澄觀提出的「因果緣起理實法界不思... more 「法界」作為華嚴宗四祖澄觀思想研究的一個重要概念,歷來的研究多從四法界說、法界緣起說等具體學說入手,尚缺乏從宗趣論的視角整體審視澄觀「法界」思想的研究。本文旨在從澄觀提出的「因果緣起理實法界不思議為宗」這一宗趣論出發,以《華嚴經疏》作為主要研究文本,探討澄觀「不思議法界」的成立及其具體展開。
對於《華嚴經》的理解,澄觀明確提出了用「法界」統攝一切,並將「法界」的特點描述為「不思議」。這一特點可以從不可言說和融通無盡兩方面來把握。一方面,澄觀將「不思議法界」不可言說的特點進一步勉強命名為「無障礙法界」。另一方面,澄觀指出「無障礙法界」含攝「四法界」,即是「一心」。他透過對「一心」和「法界」關係的探討,提出了「即境即佛」的主張。他強調覺悟境界之「境」的圓融與可見,描述了「事事無礙法界」的圓融樣相。澄觀透過對「法界」、「一心」、「境」、「佛」乃至一切法普融無礙關係的描述,開顯了華嚴「不思議法界」的融通無盡義。

『現代社会文化研究』, 2024
The concept of "Dharma Realm" (法界) is central to the study of Chengguan's (澄観) thought, the Fourt... more The concept of "Dharma Realm" (法界) is central to the study of Chengguan's (澄観) thought, the Fourth Patriarch of the Huayan School (華厳宗). While prior research has focused on Chengguan's theories like the "Four Dharma Realms" (四種法界) and "Dharma Realm Dependent Origination" (法界縁起), there has been limited exploration of differences between Chengguan and Fazang (法蔵), the Third Patriarch of Huayan, particularly regarding their interpretations of the Avatamsaka Sutra (華厳経).
Fazang emphasizes the purity and untainted nature of the Buddha's enlightenment as depicted in the Avatamsaka Sutra, focusing on Huayan's purity, a consistent approach inherited from Zhiyan (智厳), the Second Patriarch. In contrast, Chengguan highlights the concept of perfect integration (円融) within Huayan and the Avatamsaka Sutra by focusing on the "Dharma Realm," emphasizing its "inconceivability" (不思議) and "non-obstruction" (無障礙). From a practitioner's perspective, Chengguan also emphasizes Huayan’s practical application, using the relationship between Li(理) and Shi(事), centering on the "Four Dharma Realms." In summary, while Fazang and earlier Huayan masters emphasize purity and theoretical aspects, Chengguan underscores Huayan’s uniqueness, linking its perfect integration and practical aspects to the theory of the "Dharma Realm."
Thesis Chapters by Ming WU 吳 鳴

中国華厳宗の第四祖とされる澄観(738―839)は、一方で律宗、南北禅宗、三論宗、天台宗など各宗の思想を学びつつ、独自の華厳思想を形成した。従来の研究においては、澄観の思想は禅や天台の影響を受け... more 中国華厳宗の第四祖とされる澄観(738―839)は、一方で律宗、南北禅宗、三論宗、天台宗など各宗の思想を学びつつ、独自の華厳思想を形成した。従来の研究においては、澄観の思想は禅や天台の影響を受け、実践的立場が強いと説明されてきた。ここで、一つの問題が提出されるだろう。すなわち、「実践思想」という言葉が何を指しているのか、という問題である。
仏教の実践思想とは、一言で言えば、悟りと解脱へ至るための修行法である。その修行法には三つの側面、すなわち「戒」・「定」・「慧」の三学があるとされる。このうち「戒」は「戒」・「律」を身に付けることであり、「定」は雑念を払い、心を安定させることであり、「慧」というのはその戒学と定学に基づいて悟りの智慧を獲得することである。仏道修行の目的は至高の仏の智慧を獲得することにあるが、その智慧や悟りの境地に入るためには、「法」を観察する必要があるとされる。その観察の方法は、「観法」という。本来の観察された「法」は事物や現象の意味に近いが、禅宗や華厳宗などの中国仏教では自らの「心」を観察することが重んじられている。具体的に言うと、私たちの周囲のすべての存在現象は「心」の働きであり、「心」が造り出したものにすぎないため、あらゆる存在は心より現出したものにほかならず、心のほかに何物も存在しないのである。つまり、華厳宗の立場において、観察されたものは外部世界でなく、自らの「心」のすがたであるとされる。
この「観法」とは、心の動きを静めることによって智慧を発し、「心」のありのままのすがたを正しく観察することができ、それによって真理をさとり、仏道が完成される実践法である。つまり、観法は「定」と「慧」によって、悟りを開く方法である。この方法について、澄観はさまざまな具体的な方法を提唱したが、大きく分けて「縁起法門」と「性起法門」の二つに分かれる。縁起法門とは、この現象世界は真如が縁(様々な条件)に従って現れたものであり、一切の現象が互いに対立せず、相互に無限の関係をもって作用し合っていることを理解する修行法である。性起法門とは、自己心中の本来の仏性(本覚)を発見し、成仏する修行法である。澄観の観法論では、法界観、華厳心要観、三聖円融観などの観法が提出されている。このうち、縁起法門に属する法界観は真理と事相の関係(「理」・「事」)を観察し、三聖円融観は毘盧遮那・文殊・普賢の円融関係を観想し、間接的に自分の心を見つめ、人間の心の本性を悟る修行法である。性起法門に属した華厳心要観は直接的に自分の心の本性を見ることである。
大乗仏教の修行者の目的は、究極の智慧を求め、同時に衆生を教化することである。そのため、修行者自身は修行生活の清浄を守る必要があり、それは懺悔の問題にも関係する。つまり、日常的な修行生活において、戒・律を破ればその救済措置である懺悔法も実践の一環となる。そのため、本論文では戒学と合わせて、澄観の懺法についても考察する。
多くの研究はこの観法を中心として澄観の実践思想を論じている。この観法思想は彼の定学と慧学を体現したものと言えるが、一方で、戒学と懺法も彼の実践思想に欠けてはならない要素だろう。また、いままでの研究の視点は澄観の観法思想、禅的な立場などに集中してきたが、彼の実践思想の全貌については、まだ明らかにしなければならない問題が残っている。
そのため、澄観の実践思想の全貌を明らかにするためには、当時の時代背景において、彼の思想を全面的に考察しなければならない。そこで、澄観の伝記と著作に基づいて、彼の学的継承関係、思想体系、活躍した時代背景などを明らかにする必要がある。
本論文はこのような視点から、澄観の実践思想の内容と、禅や天台などの修行法との接触、その成立の時代背景を究明したい。これによって、彼の実践思想の特質を確認すると同時に、澄観思想の従来未解明であった一断面を考察してみたい。
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Papers by Ming WU 吳 鳴
對於《華嚴經》的理解,澄觀明確提出了用「法界」統攝一切,並將「法界」的特點描述為「不思議」。這一特點可以從不可言說和融通無盡兩方面來把握。一方面,澄觀將「不思議法界」不可言說的特點進一步勉強命名為「無障礙法界」。另一方面,澄觀指出「無障礙法界」含攝「四法界」,即是「一心」。他透過對「一心」和「法界」關係的探討,提出了「即境即佛」的主張。他強調覺悟境界之「境」的圓融與可見,描述了「事事無礙法界」的圓融樣相。澄觀透過對「法界」、「一心」、「境」、「佛」乃至一切法普融無礙關係的描述,開顯了華嚴「不思議法界」的融通無盡義。
Fazang emphasizes the purity and untainted nature of the Buddha's enlightenment as depicted in the Avatamsaka Sutra, focusing on Huayan's purity, a consistent approach inherited from Zhiyan (智厳), the Second Patriarch. In contrast, Chengguan highlights the concept of perfect integration (円融) within Huayan and the Avatamsaka Sutra by focusing on the "Dharma Realm," emphasizing its "inconceivability" (不思議) and "non-obstruction" (無障礙). From a practitioner's perspective, Chengguan also emphasizes Huayan’s practical application, using the relationship between Li(理) and Shi(事), centering on the "Four Dharma Realms." In summary, while Fazang and earlier Huayan masters emphasize purity and theoretical aspects, Chengguan underscores Huayan’s uniqueness, linking its perfect integration and practical aspects to the theory of the "Dharma Realm."
Thesis Chapters by Ming WU 吳 鳴
仏教の実践思想とは、一言で言えば、悟りと解脱へ至るための修行法である。その修行法には三つの側面、すなわち「戒」・「定」・「慧」の三学があるとされる。このうち「戒」は「戒」・「律」を身に付けることであり、「定」は雑念を払い、心を安定させることであり、「慧」というのはその戒学と定学に基づいて悟りの智慧を獲得することである。仏道修行の目的は至高の仏の智慧を獲得することにあるが、その智慧や悟りの境地に入るためには、「法」を観察する必要があるとされる。その観察の方法は、「観法」という。本来の観察された「法」は事物や現象の意味に近いが、禅宗や華厳宗などの中国仏教では自らの「心」を観察することが重んじられている。具体的に言うと、私たちの周囲のすべての存在現象は「心」の働きであり、「心」が造り出したものにすぎないため、あらゆる存在は心より現出したものにほかならず、心のほかに何物も存在しないのである。つまり、華厳宗の立場において、観察されたものは外部世界でなく、自らの「心」のすがたであるとされる。
この「観法」とは、心の動きを静めることによって智慧を発し、「心」のありのままのすがたを正しく観察することができ、それによって真理をさとり、仏道が完成される実践法である。つまり、観法は「定」と「慧」によって、悟りを開く方法である。この方法について、澄観はさまざまな具体的な方法を提唱したが、大きく分けて「縁起法門」と「性起法門」の二つに分かれる。縁起法門とは、この現象世界は真如が縁(様々な条件)に従って現れたものであり、一切の現象が互いに対立せず、相互に無限の関係をもって作用し合っていることを理解する修行法である。性起法門とは、自己心中の本来の仏性(本覚)を発見し、成仏する修行法である。澄観の観法論では、法界観、華厳心要観、三聖円融観などの観法が提出されている。このうち、縁起法門に属する法界観は真理と事相の関係(「理」・「事」)を観察し、三聖円融観は毘盧遮那・文殊・普賢の円融関係を観想し、間接的に自分の心を見つめ、人間の心の本性を悟る修行法である。性起法門に属した華厳心要観は直接的に自分の心の本性を見ることである。
大乗仏教の修行者の目的は、究極の智慧を求め、同時に衆生を教化することである。そのため、修行者自身は修行生活の清浄を守る必要があり、それは懺悔の問題にも関係する。つまり、日常的な修行生活において、戒・律を破ればその救済措置である懺悔法も実践の一環となる。そのため、本論文では戒学と合わせて、澄観の懺法についても考察する。
多くの研究はこの観法を中心として澄観の実践思想を論じている。この観法思想は彼の定学と慧学を体現したものと言えるが、一方で、戒学と懺法も彼の実践思想に欠けてはならない要素だろう。また、いままでの研究の視点は澄観の観法思想、禅的な立場などに集中してきたが、彼の実践思想の全貌については、まだ明らかにしなければならない問題が残っている。
そのため、澄観の実践思想の全貌を明らかにするためには、当時の時代背景において、彼の思想を全面的に考察しなければならない。そこで、澄観の伝記と著作に基づいて、彼の学的継承関係、思想体系、活躍した時代背景などを明らかにする必要がある。
本論文はこのような視点から、澄観の実践思想の内容と、禅や天台などの修行法との接触、その成立の時代背景を究明したい。これによって、彼の実践思想の特質を確認すると同時に、澄観思想の従来未解明であった一断面を考察してみたい。